2014年11月22日土曜日

ナラボー横断〜8日間のサバイバル生活〜②



ナラボーも残り500キロ。
残り3日間で走破するつもりだ。

6日目の朝、ハチミツを隣にテント張っていたおじさんにもらい、パスタ以外の食料が尽きていたのでとても助かった。
いやいや、途中のガソリンスタンドで買えばいいじゃん?
そう思う人はおおいだろうが、ナラボーでは物価が桁違いに高いのである。
コーヒー牛乳に600円。信じられないくらい高いのだ。


6日目は、この旅最長の196kmを走行予定。




出発して、10キロ程走るとふざけたカンガルーのモニュメントが。これがWestern AustraliaとSouthern Australiaのボーダーを示すとはなんとも遊び心がある国ではないか。


ボーダー以降は、平原が続いていたナラボーに遂に海沿いの道が出現するのだが、あいにくの嵐で台無しに。

それでも、ハチミツを飲みながら時速25キロで爆走し続ける。

幸いに追い風だったのでかなり走りやすくも、いくら走っても残り百数十キロと出てくる標識。拷問だ。

通り過ぎる36.5mのRoad Trainの風で転倒しそうになることもあった。

耐えて、耐えて、耐え続けて10時間を得て、キャンプ地に着くのであった。


ナラボーを1番最初に走った自転車とともに

ナラボー7日目。
この日は、アボリジニー区域を通るためテントを張る場所に細心の注意を原分ければならなかった。

ナラボーと言えば一直線の道と動物の標識

その前に、天気があまりにもよかったので、有名な岬『Head of Bight』へと向かう。

綺麗。この一言につきた。

今までの何も無い平原を走っていたのがあたかも嘘のように、青い海が目の前に広がる。

ナラボーに来て初めて良かったと思った瞬間でもあった。




観光の後に30分くらいお茶をした夫婦


Head of Bightを観光した後は、アボリジニー区域をひたすら走ることに。
危険であることを聞いていたため、この区間でテントを張るのは避けようと思っていた。

しかし11時の状況で、アボリジニー区域を超えるには100キロを走らなければならなかった。平均速度の時速20kmで走れば余裕と思いきや、ナラボーとは思えない程の、坂が立ちはだかる。

意地とハチミツでサンセットぎりぎりにキャンプ地につくことに。

そして、疲れがたまっていたため、夜ご飯をたべずに寝ようと思っていた所にイギリス人のおっちゃんが話しかけてきた。

なんでこのタイミング?とは思ったが、話しかけてくれることはありがたいことで、もしかしたらいいことがあるかも知れない(家にとめてくれたり、お酒をくれたり)と思い話すことに。

70歳、かつてはあらゆる自転車のレースでメダルを集めていたスーパーマンであった。
自転車レースのワールドシリーズにも出たことがあるらしく、永遠に自転車について話される。しかし、初心者の僕は必死に知ったかぶりをして、全ての話に対して共感を得たかのように反応することで精一杯だった。もっと勉強しよう、自転車のことを。




8日目。いよいよナラボー最終日だ。

今までの地獄の様な道路が嘘のように下り坂が続く。

ナラボーがあたかももうすぐ終わりますよと言わんばかりに

道ばたに転がっているカンガルーの死体が、うさぎの死体にかわる。

それにしても、朝一で見る動物の死体ほど食欲をなくすことはない。内蔵が飛び出ていて、まるで医学部の学生が解剖実験をやっているかのように綺麗に身体の内部を見ることができる。

そんな、匂い、死体に耐えながら15時に、ナラボーの終着点のCedunaへ。

ゴールらしい、検問所が現れる。
遂にゴール、ナラボー横断

そういえば、オーストラリアは罰金を課すのが大好きな国だ。

この検問所では、果物を持ち込もうとすると500ドルの罰金、ヘルメットを被らず自転車を漕ぐと200ドルの罰金。


ただでさえ貧乏旅行の自分は、余計な所での出費は避けたい。

生命線であるハチミツがひっかかるかきわどい所を、待ちながら検問を無事に通過。


町中をしばらく進むと、綺麗な海が一面に広がっている。

泊まる場所は、盗難事件が多いCedunaではキャンプ地に荷物を置いて買い出しにいくことが危険なため、ホテルに泊まることに。

ここでも65ドル値切りオーシャンビューの部屋をゲット。



それにしても、ホテルの目の前は釣り堀があり、芝生もあり最高のローケーションだ。




ナラボーを頑張った自分のご褒美を楽しみながら、明日からのルートを考える夜であった。

つまらない近道を通るか、海沿いの遠回りを通るか、


体重65.8kg
走行距離:2100km


つづく






2014年11月14日金曜日

『No CoCo壱番屋 No Life』からの脱却〜ダイエット編〜①

旅を初めてもう少しで1ヶ月が経とうとしている。

2年前57kg→Max80kg→出発直前73kg→現在64kg。


 ↓



時系列に変遷をならべてみるとこんな感じ。
(Number Webでコラムを書かせてもらっている初回にも詳しくは書いてありますが↓
http://number.bunshun.jp/articles/-/821930?page=2)




ここまでは順調に、体重が減っている。数字の裏には色々試行錯誤を重ねでいたのだが。とりあえず今までの超えられなかった70kgの壁をいとも簡単に超えたのはおそらく毎日自転車を漕いでるだけではないのだ。

自転車やれば痩せるんでしょ?とおもう人は多くいると思うがそんなに1回太った身体を戻すのは甘くないということを肝に銘じていただきたい笑

  
日本にいた時練習で800km日本縦断したり、サバイバル生活をしたことがあったがそれでも70kgは切ったことが無かった。


このオーストラリアの旅では徹底して食生活に気を使っていることがダイエットが今まで順調になっていると思うのだ笑
とはいえ、まだ7kg落とさなければならないと思うと気を抜けないのだが笑


ということで、今回は自転車から離れて、

①食生活が日本と比べて何が変わったのか
②何を考えて何を食べているのか(まだ試行錯誤している中だが)



①食生活が日本と比べて何が変わったのか

*日本での食生活

ざっくりいうと、日本では毎日お酒を大量に飲んでいた。
飲み会が無ければ無理矢理入れてひたすら飲み続ける、そんな不健康な生活を送っていた。飲み会後はラーメンかカレー(CoCo壱番屋)

朝は食べず、昼夜に集中して食べるというかなり消化の悪い食生活だ笑

今でも振り返って笑えるのが、カレー屋のCoCo壱番屋に一週間毎日通い続け、カツカレーに豚しゃぶチーズトッピングをする自殺行為をしていたwwwwww

そりゃ、20kg太るわな笑

参考までに以下が日本で食べていた3食笑
炭水化物、油物で固められていています笑





*オーストラリアでの食生活





上の写真を見ての通り、
朝昼はパン、クラッカー、ビスケット
夜はサラダ、パスタ
というサイクルを大都市以外では必ず守っている。かなり日本と食べているものが違うな笑



仲良くなった人に作ってもらう料理
時には、キャンプサイトで仲良くなった人が、料理してくれたりしてたくさん食べることがあるのだが。。。こういう場合は次の日の食べるものを軽くしようとしている。

例えば、日本の頃はいくら昼に沢山食べてお腹いっぱいでも、夜もたくさん食べるという、まさにストレスを食生活で晴らすというデブエットとしていた訳。




更に、気をつけていることが『お酒×時間』である。

旅中では、人からもらわないかぎり自分のお金ではお酒を飲まないようにしている(なんとも図々しいやつだと思うかも知れないが)。理由は簡単で、お酒を飲むとお金もかかるし太るからだ笑

さらに食べる時間。本当に日本にいたときは本能で食べていたな笑
毎回8時までには夜ご飯を食べるようにしている。




②何を考えて何を食べているのか(まだ試行錯誤している中だが)
〜旅中でさえも変化し続ける食生活〜

ここから書くことは自分なりの食生活に対する考えである。
よく色んな人から旅の時に何を考えているの?と聞かれるのだが恐らく食生活について6割は考えている気がする笑 それほどダイエットをやりきるには考える事が必要なのだが。。。


基本的には、前述したように朝昼ビスケット、パン、夜パスタである。
しかし、旅を始めて9kg痩せた今、70キロを切って以降この食生活だけで体重を減らすのは正直限界を感じていた。

実際ナラボーまでは67〜71kgをさまよっていた。

体重にボラティリティを無くし、コンスタントに体重を減らす。


そのためには、炭水化物を減らす→エネルギーがなくなる→ふらふらになってRoad Trainに引かれそうになるという悪循環をおっていたため夜にパスタ2食にすることが多かった。


問題は解決されない笑

では、どう改善したか?

①夜は炭水化物食べない、サラダと缶詰
②パンをかじる朝、昼に付ける
③パスタは週に2回(自分へのご褒美)
④大都市では栄養を取るを考える/好きな物を食べる(ただし時間帯と量に気をつける)


結論から言うと『朝に炭水化物をしっかり取る週間を付けましょう!』てことです笑

はい、当たり前なのです笑
ただ、当たり前なことを毎日やりきるというのは難しくて、、、

150~200キロはしってお腹がすいているのにサラダしか夜食べれなかったり
ガソリンスタンドでファーストフードを食べたくなる衝動を抑えたり

毎日、日中35度の過酷な中自転車を漕ぐモチベーションを保つために誘惑と戦わなければならないのです。そんなの、我慢しろよ!と言われればそれまでなのですが笑


なぜ、朝に炭水化物を取るのが良いのか??
①朝ご飯を食べたカロリーは夜までに10時間チャリを漕ぐうちに消化されやすくなる
②今まで見たいに日中に熱中症でふらふらになりにくくなる

これなのです。
せっかく一日5000カロリー近く消費しているのに夜パスタを2食食べてすぐ寝たらそれは、一定の体重を減ったあとになかなか減らないよね?そういうことなのです。


おかげさまで、現在は64〜65kgの間で変化の幅がおさまっています笑


ただ、自分の旅の目標値は57kgなのでこのために、考え抜いた食生活だけではあと7kgはきついと思います笑

なぜなら自転車を漕いでるだけでは全ての余分な脂肪が燃焼されないから。

今度は60kgきった時にまたダイエットについて書こうかと思います。


つづく



朝の日課

自炊で栄養を蓄えたときの写真














2014年11月13日木曜日

ナラボー横断〜8日間のサバイバル生活〜①

朝六時。
オランダ人とナラボーを共にするため、待ち合わせの公園に。
水10Lを積みいつもよりも自転車が重くなえる。


いよいよ、旅の最大難所ナラボー平原が始まるのだ。
約1200km、100〜200km何も無い区間が続く、野生の動物が多発、Road Trainが多発。

以上の情報を振り返るだけでも、鳥肌が立つくらい過酷な道である。

そして、オーストラリアを横断する際に避けては通れない道で、多くのベテランサイクリスト、老後の旅する夫婦でさえも苦戦する区間だ。


しかしそんな不安を抱えてはいたが、オランダ人カップルとオーストラリア人女性と合流し出発するとなんだか心強くわくわくしていた。


いざ、走ってみるとかなりペースが遅く、小まめに給水、食料を取る。
ナラボーに着くまで50キロおきのみ休憩を取ったり、朝昼抜いては走り続けたり、時間を気にしながらひたすら漕ぎ続けてきた自分のスタイルが完全に危険で、身体に良くないことが分かった。


ふらふらになった時は、食料、水分を小まめに取らないでエネルギーが尽きたためだったと発見し、これだけでもナラボーで生き残るために十分なノウハウであった。


そして、開始2時間でオーストラリア人の女性がパンクし、アデレードまでヒッチハイクするトラブルにみまわれながらも、初日はカップルの後をゆっくり走りながら終了した。

カップルによると、ナラボーは噂で聞く怖い話はほとんど嘘だというが夜ご飯を食べながら以下のことが分かった。


  • 野生の動物は夜中に活動するため日中に襲ってくることは無い(自分から攻撃しないかぎり)
  • 蛇は動かなければ噛んでこない
  • 水、食料がなくなったら、キャンピングカー、トラックの運ちゃんに貰えばいい
  • 多くの自転車で旅をしている人に出会う
  • Road Trainはよけてくれる(対向車線から車がくるときは道路から外れた方がいい)
  • ブッシュキャンプは最高だ
  • ナラボーはオーストラリアの中でベストなキャンプサイト

ナラボー経験者が言うのだから大分説得力があり、ナラボーに車で聞いていた噂は真実でないことが多いと分かりすこしほっとした。




そして、初日の夜はブッシュキャンプだ(道路の横にある茂みの中にテントを張る)


これまで蛇、サソリを敬遠してきたが意外にもこじんまりとしていて、毒性の生き物がでなさそうな場所だったため、安心した。キャンプサイトに日が暮れる前に着かなかったときの最終手段として、自分の中の引き出しができたのが嬉しかった。





2日目、朝5時起床。

カップルは4時半に起きて朝から楽しそうにしているが、寝起き低血圧な自分はすこしいらっとするも、1人で旅する方が楽だなと思い、途中から1人で走ることを考えていた。

それもそう、休憩、就寝前、テント張る前に目の前でいちゃいちゃされて、対応に困るし、知らない間に気疲れしていた。何人かで自転車旅をすることのデメリットもわりと大きいなとマイペースな自分は思った。


40キロ走ったところで、Roadhouseでゆっくり朝食を食べているカップルと別れを告げ出発。

いよいよ、1人でナラボーを走るのだなと思うと、なんだか寂しく心細くなってきた。

そんな心配をしているうちに、大きな試練が目の前に立ちはだかった。


オーストラリアで最長の一直線がこれから146キロ続くらしい。

実際走ってみると、なんだか迷路に迷い込んだかのように景色が変わらない。

両脇の森林、果てしなく続く道。

日中35度の猛暑。

道路の温度はおそらく40度を超えている。卵焼きでも焼けるのじゃないかと思うくらい。


自分との戦いでこれほど苦痛なことは今後ないのじゃないかと思うくらい10時間は知り続けていた。ナラボー1人デビューの日にしては負担の大きい出来事であった。




3日目、ようやく直線を超える。

まるで試練が終わった後のご褒美かのように、
立て続けにサイクリストと出会う。


①初めての日本人


この旅で初めての日本人で自転車を漕いでいる人を発見した。
ナラボーにきて良かったと一瞬血迷った事を考えていた笑

名前はあつとくん。
大学生で休学中。
ブリズベンのバナナファームでワーホリして80万貯めてKマートで自転車を購入するも一瞬で壊れる。

自分と同じ初心者なのにすごい度胸しているなと思いまた、同じ旅をしているのにおもしろいネタが沢山もっていてすごいなと感心していた。


②イケメンイギリス人

名前はサム。
日が暮れる一時間前に遭遇し、元気がでた。

シドニーまでの道のりを全く同じルートで逆方面から来ている事もあり、かなり情報を提供してくれた。

ナラボーの終着点であるCedunaは盗難が多い、
ナラボーを超えると日中45度に達する、
口の中に水分を求めてはえが入ってくる

など訳の分からない情報をくれた。

ナラボーを超えても油断するなということだろうか。


4日目、5日目、thunderstorm警報発生。

これまでのナラボーは割と追い風が多く助けられていた。
しかし、この2日間は本当に時速5キロといってもいいほどの早さでしか漕ぐ事ができない程、向かい風が強かった。これがオーストラリア横断するサイクリストの頭を1番悩ませる者かも知れない。

ひたすらこいでも進まない。

Road Trainとすれ違えば、転倒しそうになる。

死んでいるカンガルーの匂いが50m先からにおってくる。

はちが風に押されて近づいてくる。

など日中は本当に危険にさらされながら走りつづけていた。

夜は、暴風の中テントで寝ようとするも4時間も寝れない状態に。今までとは違った、恐怖とストレスが降り掛かってきた。何を乗り越えても、さまざまな苦痛が押し寄せてくるこの旅は本当に拷問だなと思いながら耐えた。


そして、ようやく710キロ走ることナラボーの中間地点に到着。
Euclaといい、丘の上にあり今まではしり続けてきた道を一望できる場所にある。

本当に何も無く、修行でよくいきのこったなと思うくらい壮絶な道に見えた。

そしてこの日は、大雨と嵐にさらされた。

海と、ナラボーが一望できる場所にテント張ったため、風にとばされそうになり、

雷におびえながらテントとトイレを30分おきに5時間も行ききしたのは本当に良い思い出だ。

もう二度と見晴らしのよいところにテントは張らない。
車の背後にはって風を遮るそう誓った夜であった。



<人に助けられ続け、勇気づけられる出会い>

ここまで、ナラボーを710キロ半分以上走った訳だが、

様々な人が、休憩中に話しかけてくれたり、水、食料をくれた。

彼らも旅人で車といえどサバイバルな生活を送っているわけで(自転車と比べたら贅沢なものだが)、そんな中でも余裕があるかのように必要以上にこれもっていけといわんばかりに沢山の補給食を貰い本当に助けられました。



自分自身に気合いだと言い聞かせてモチベートさせることも大事だけど、それだけでは漕ぎ続けず、人との些細な出会いがあって毎日150キロ以上はしろうという気持ちになれるんだな〜と思ったり。



サンドイッチ、チーズ、サラミ、水、チョコを大量にくれた夫婦

朝コーヒーとトーストをくれたおじさん

水を大量にくれた夫婦


ロードハウスで話した老後を旅し続ける夫婦の集団





残りのナラボー横断紀は次回へとつづく。


体重66.4kg(max80kg)
走行距離1510km




2014年11月7日金曜日

いよいよナラボーへ

雷、転倒と色々あったNorthamからいよいよ、ナラボーの入り口Norsemanへ出発!


700キロもある。
途中にちらほら町があると地図に書いてあるため少し期待しながら走ること5日間。

予想をはるかに超えるものでした。
壮絶すぎるというか、日中36度の中、ひたすら何も無い、景色の変わらない一本道を走る訳で。。。。。


町といってもガソリンスタンドしかないorz

Road Trainは相変わらず危ない

水を飲むも太陽のせいでお湯に

景色が変わるのは動物の有無のみ

400キロ走ってもまだ変わらぬ

遂に通りすがりのおっちゃんから安全なベストを貰う笑


写真の通り、400キロ〜500キロは何も変わらない道をひたすら走り、数えきれないくらい熱中症になりました。笑


休むにも、日陰がどこにもないここは、もはやナラボー平原なのではないかと思うくらい。時には100キロ以上ガソリンステーションが無いときもありふらふらになりながら、Road Trainに引かれそうになりながらペダルを漕ぐことに。。。。


そんな辛い出来事が忘れる程面白い出会いも一方ではあり、、、、、

ポーランド人の自転車
 ままちゃりで、オーストラリアを横断を試みる、ポーランド人、33歳独身。同じキャンプサイトで自分が5ドルで泊まったのにもかかわらず、50ドルぼったくられる笑

服装、自転車といい横断をなめてるのかと終始思った愉快な人でした。




韓国人の自転写

次は、2人目の自転車の旅人。
短期間にここまで多く自転車乗りに遭遇するとはおもわず、

そしてこの韓国人、オーストラリア横断の復路らしい。
ナラボー平原を往復したとんでもないクレイジーな韓国人である。。。。

自転車といい、水のボトルといいかなり年期が入っている模様で、すこし憧れたりもする。自分もシドニーに着く頃には色んなものをぼろぼろにした状態でゴールしたいな。。。笑



道路の工事現場
最後は、道路を工事する人たち。
何も無い平原に、綺麗な一本道がひたすら続き、走る一方で綺麗な道だなと毎日感心していた。道脇にはゴミ1つもないし、木や草も整えられていて、日本ではないのにここまで緻密な風景を創りだすのはいったい誰がやってるのか不思議であった。。。

それが、この人たちのお陰で気持ちよく走れ、感謝しなければなと思った。ちなみに、この人たち曰く30年前以上は舗装道路ではなかったという。笑




このような人たちに出会い元気を貰うも、この先も200キロ地獄が続く。

苦しい時に、自分をどうモチーベートさせるか本当に考え続けたような。

例えば、毎日食べているご飯のバランス(朝昼なし、夜パスタ)。
朝昼に食べ過ぎると猛暑で気持ち湧くなるため軽めにする。しかし、結局はアイス一個で終わりエネルギーが消耗する結末に陥る笑

朝昼を軽めにする分、夜パスタを2食食べると、なぜか太る。

3食のバランス、そして上手く一日中エネルギーが続く補給をひたすら考え続けていたが、結論は『気合いでがんばる』という意味の分からないことになる。


そんな中、カールグリーというパース以来の大きな町にたどり着き、マックを700キロ走った中で初めて見る。パースにいた頃はあんなにファーストフードを食べたたくないと思っていたが、あまりにも質素な食生活の毎日に、駆けつけることに。。。

オーストラリア初マック

マクドナルドがここまで美味しいものだと思うのはきっと今後は2度とない気がしたひとときでした笑



それにしても、いままで通過した町と比べると大分雰囲気も変わり620キロ頑張ってよかったなと。


ナラボーの入り口まであと180キロ。
翌日で全て漕ぎ続ける予定であった。
SUPER PIT










朝一でスーパーピットというオーストラリアの中でもかなり有名な鉱山に巡り会うことに。実際見てみると何キロも深く掘り続けていて、細い道を大きなトラックがぎりぎりのスペースで登り下りをしていて見ているこっちがハラハラしていたり。

その後はひたすら11時間、自分との170キロの戦いをして。最後はサンセットぎりぎりに意識が朦朧としたじょうたいでようやくナラボー平原の入り口へ。


ここ数日100キロ以上は常に毎日走り、食料(パスタ以外)を改めて考えなくてはいけないとおもい2泊することに。                                      

ナラボーを共に旅するオランダ人
次の日、まちをサイクリングしていたらオランダ人に遭遇。同じナラボーに行くことが判明し、数日間ともにすることに。ナラボーでのキャンプ方法、水の補給地などそのた諸々と、教えてもらうためにお願いしてみた。

どうやらこのカップルもナラボー往路らしくかなりの強者だ。特に男の人は南米、オーストラリアと計30,000キロ自転車で旅をしてきたとか。この人たちに頼る他はないと思った。






ようやく、パースから800キロ走破し、いよいよこれから1200km続くナラボー平原のはじまりです。では行ってきます!